9月20日開幕のラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会で、史上初の準々決勝(ベスト8)進出をめざす日本代表。着々と強化を進めるチームは8月、フィジー遠征で国際大会パシフィック・ネーションズカップ優勝を果たし、手応えを深めた。優勝杯を掲げたその国は、主将のFWリーチ・マイケルが、自らの「ルーツ」と語る地でもある。
フィジーの首都スバであった米国との大会最終戦。応援に駆けつけた親族ら約50人の前で、リーチは2トライを挙げて勝利に貢献した。翌日、母イバさんの生地にリーチは報道陣を案内した。「東京との違いを知ってほしかった」。スバから車で3時間以上。さらに未舗装のでこぼこ道を数十分走る。最後、四輪駆動車が小川を渡り、急な坂を上った先、緑に囲まれた集落で親族が待っていた。
リーチ自身はニュージーランド(NZ)で生まれ育ったが、母はフィジー出身。リーチは幼い頃から、ここで自然に親しんだ。「果物を採ってジャムを作ったり、川で魚を捕まえたり。移動手段は馬だった。ここに来るとリフレッシュできて、気持ちが楽になる」。童心に帰って乗馬を楽しみ、親族の子どもたちと語らった。
今は母がNZで暮らす一方、父コリンさんが家を守る。サイクロンで壊れた家を再建したのがきっかけで、新しい家も建てている。エンジニアの父は「持っている知識を次の世代に『ダウンロード』しているだけで、特に苦労はないよ」。地元の若者たちと共同で作業しながら技術を伝えている。その姿にリーチは「人を助けたい気持ちが強いし、古い物も大事にする。僕がどこでも生きていけるところは、父に似ているのかも」。
日本との「縁」も改めて感じずにはいられない。祖父の故エモシ・ナティリさんは太平洋戦争中、タラワ(キリバス)という戦地で日本軍と戦ったという。「森で日本兵とばったり会い、互いに『向こうに行け』と目配せした。殺し合いたくなかった」と祖父が話していたというエピソードを、この地でリーチは親族から聞いている。

ラグビー日本代表・リーチマイケル、母の故郷でリフレッシュ
1 comment
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いや、日本代表て言われても、見渡す限り日本人らしいのおらんし。無理やろ。みんなどう思てんの。相撲でも、テニスでも無理やて。日本人はあんな黒ない。あんなごつない。細目で一重で短足でやんか。むりくり日本にすんな。